不登校、引きこもりあれこれ

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こちょこちょ心理学

不登校、引きこもりあれこれ

2019/06/13

不登校の捉え方

学校に行けるに越したことは無い

沖縄の小学生ユーチューバーが、

「学校へ行かなくていい!」と呼びかけています。

TVでも放映され、不登校のきっかけは、

皆同じようにすることを強要される事への疑問、

周りのの生徒が皆ロボットに見えた事・・・のようでした。

「毎朝、起きたい時に起き、やりたいことをして、行たいと思った時だけ

学校に行く。自由に楽しく過ごしている。遊びの中に学ぶことは沢山ある。」

と誇らしげに語っていました。

そうなのかな~? それでいいのかな~? この子は大人になった時に

どういう大人になるのだろう? どうやって生きて行くのだろう?

色々、危惧されることが頭に浮かんできました。

海などの自然に恵まれた沖縄と言う環境の中にあってこその話では? 

都会の子や何もない地方の町の子、はどうするのだろう?

どこにも行かず、家族以外の誰とも話さず、家にじっとして

引きこもるしかないのではなだろうか?  

遊びの中に学ぶことは沢山ありますが、学校は遊びの中で学ぶより

もっと知識教養という学問の基礎を学びます。また、色々な同世代

多世代の児童との関わりや学校の規則に従うという規範を守る中で、

社会性を学ぶところでもあります。

過度の押しつけ教育や、過度の同一視、同一化は望ましくありませんが、

学校に通う事で、子供たちは沢山の事も学んでいくと思います。

青年期になった学生達の中で不登校経験者が年々増えているような印象を

受けます。不登校のきっかけは個々まちまち。

そういう学生を指導して来て思う事・・共通して言えるのはどの学生も

自信を持っていないという事。表向きは自信があるように見えますが、

心の奥で、不登校だった自分を卑下しているような様子が垣間見られます。

どうしてなのか? いろいろ理由はあいますが、一つは、学習能力が

低くなるという事です。

成長して、勉強をし直す学生も沢山いますが、不登校期間が長いほど

取り戻すのに時間がかかります。

ですから、私は、不登校をしていても勉強は学校でするのと同じように

させて欲しいと思います。

理由によっては学校に行けないのが妥当な児童、我儘に過ぎない児童

どちらにしても自宅もしくは他の施設なり、勉強はさせて欲しいと思います。

先日もある保護者様が、「学校に行かなくていいと言っても、心配で

仕方がないです。」とおっしゃっていました。

何が心配なのか?それは子どもの将来の事ですよね。

どうなるのだろうか?大丈夫なのだろうか?

生きていけるのだろうか? 

私がTVを見て感じた事を保護者様も危惧されるのです。

不登校がいい事ならば、堂々としていればいいと思いますし、

近所や友達に隠す事でもないはずです。

実際は、学校に行かさなくていい!と言っている保護者様も

心の奥では、行くに越したことは無いと思っておられるのではないか?

と思いますが、どうでしょうか?

不登校の其々の理由をしっかり把握し、子どもの気持ちを受容共感し、

そして適切な方法で関わり、

次第に学校に行けるようになるに越したことは無いと思います。

                        SACHI